2025年の大阪・関西万博が開幕し、「1970年に開催された最初の大阪万博って、どんな雰囲気だったの?」と興味を持1970年に開催された大阪万博について調べる人の多くは、こんな疑問を持っているのではないでしょうか。
- 当時の入場料はいくらだった?
- 展示物はどんなものが人気だった?
- 公式テーマソングってどんな曲?
- キャラクターはいたの?
- 2025年万博と比べてどう違う?
こうした関心に応えるべく、この記事では1970年の大阪万博の基本情報をはじめ、当時のテーマソングやキャラクター事情、そして2025年の大阪・関西万博との比較まで、正確な情報をもとに分かりやすく解説します。
大阪万博1970を知ることで、2025年の万博をより深く楽しむヒントにもなるはずです。


大阪万博1970の基本データ

- 正式名称:日本万国博覧会(Expo ’70)
- 開催期間:1970年3月15日~9月13日(183日間)
- 会場:大阪府吹田市(現在の万博記念公園)
- 来場者数:約6,421万人
- 参加国・地域:77か国・地域
- テーマ:人類の進歩と調和
1970年3月15日から9月13日までの183日間にわたり、大阪の千里丘陵(現:吹田市・万博記念公園)で開催された、日本初の国際博覧会です。
「人類の進歩と調和」をテーマに、世界77か国が参加し、累計来場者数は6,421万人超という記録的な数字を残しました。高度経済成長期の日本を象徴する一大イベントとして、当時は「未来を見に行く」感覚で多くの人が訪れたと言われています。
1970年大阪万博の入場料はいくらだった?
当時の入場料は次のとおりです。
区分 | 前売券 | 当日券 |
---|---|---|
大人(18歳以上) | 800円 | 1,000円 |
中人(12~17歳) | 600円 | 700円 |
小人(4~11歳) | 400円 | 500円 |
参考までに、1970年の大卒初任給は約4万円。大人1人1,000円という入場料は、今で言えば映画館の2~3倍ほどの感覚で、ちょっとした贅沢なレジャーでした。
大阪万博1970で話題になった展示物・パビリオンは?
1970年の大阪万博では、116のパビリオンが出展されました。ここでは特に注目された5つを紹介します。
ソ連館:世界初公開の「月の石」
アメリカよりも先にソ連が持ち帰った「月の石」が世界で初めて一般公開され、大行列ができました。
アメリカ館:アポロ宇宙船を体感
アポロ計画の映像や宇宙船模型など、当時大注目だった宇宙開発をリアルに感じられる展示でした。
日本館:未来技術を体験できる空間
動く歩道、360度映像、巨大スクリーンなど、日本が誇る技術を駆使した展示が多くの人を魅了しました。
鉄鋼館・企業館:アートと建築の融合
展示そのものだけでなく、建築や構造が「芸術作品」として高い評価を受け、前衛的な空間演出が光りました。
テーマ館(太陽の塔):生命の進化を表現
岡本太郎が制作した「太陽の塔」は、内部に「生命の樹」が設けられ、生命の進化をたどる展示が行われました。
大阪万博1970のテーマソングは?|「世界の国からこんにちは」】
1970年万博の公式テーマソングは、「世界の国からこんにちは」です。
作詞は一般公募によって選ばれた島田陽子さん、作曲は中村八大さんが担当。三波春夫さんのバージョンが特に有名で、開会式や会場各所で繰り返し流されました。
「こんにちは」という言葉を繰り返す歌詞が印象的で、平和と国際交流の象徴として、今もなお懐かしむ声が多く聞かれます。
大阪万博1970にキャラクターはいた?
現在の2025年大阪万博には公式キャラクター「ミャクミャク」がいますが、1970年万博には公式キャラクターはいませんでした。
当時は、イベントをキャラクターで盛り上げる文化がまだ一般的ではなく、代わりにシンボル的な存在だったのが「太陽の塔」や博覧会の公式ロゴマークです。
そのため、1970年の万博は、キャラクターではなく「技術と思想」で記憶に残る内容だったといえます。
【比較表】1970年と2025年の大阪万博、何が違う?

【比較表|1970年と2025年の大阪万博】
比較項目 | 1970年大阪万博 | 2025年大阪・関西万博 |
---|---|---|
開催地 | 千里丘陵(現・万博記念公園) | 夢洲(大阪湾の人工島) |
開催期間 | 1970年3月15日〜9月13日(183日間) | 2025年4月13日〜10月13日(184日間) |
テーマ | 人類の進歩と調和 | いのち輝く未来社会のデザイン |
入場料(大人) | 1,000円(当時) | 7,500円(2024年時点の1日券) |
展示内容 | 宇宙・科学技術の体験展示 | SDGs、未来技術、共創体験型パビリオン |
公式キャラクター | なし | ミャクミャク |
テーマソング | 世界の国からこんにちは(三波春夫) | ミャクミャクダンス(公式ソング) |
1970年の万博は、科学技術や宇宙開発といった「進歩」に焦点を当て、驚きや体験そのものを楽しむ万博でした。
一方、2025年の万博は、持続可能性や共生社会などの「問い」に向き合い、来場者自身が考え、関わる参加型の万博です。
また、会場や入場料、来場者数の目標にも時代の違いが表れており、万博が「未来を提示するイベント」から「未来を共創するイベント」へと大きく進化していることがよくわかります。
万博の役割の“変化”にも注目
1970年は、戦後の復興期を経て「未来への夢」がテーマでした。展示は最新技術の“見せ物”として驚きや感動を与えるものでした。
一方、2025年の万博は、環境問題・健康・多様性といった社会課題を共有し、共に未来を考える場です。
テクノロジーを「見せる」から「活用する」へ、万博の意義そのものが進化しています。
1970年大阪万博を“今”体験できる場所
「1970年の万博、行ってみたかったな……」という方には、次の場所がおすすめです。
- 万博記念公園(大阪・吹田市)
→ 太陽の塔や当時の広場の一部が現存し、今でも万博の雰囲気が残されています。 - EXPO’70パビリオン
→ 当時のチケット、パビリオン模型、ポスター、映像などを展示する資料館。歴史好き・建築好きにも人気です。
まとめ|1970年を知ると、2025年大阪万博がもっと面白くなる
1970年の大阪万博は、当時の日本が未来へ向かって走り出した象徴的な出来事でした。入場料や展示内容からも「見せる万博」の時代背景が伝わってきます。
そして2025年、万博は「未来を共につくる万博」へと進化しています。
過去と今を比較することで、万博というイベントが社会や価値観の変化を映し出す“鏡”であることがよくわかります。
「昔はこうだった」と知ることは、今の万博をより深く楽しむためのヒントになります。ぜひ2025年万博の会場でも、そんな視点を持ってみてはいかがでしょうか?